心と体

生き方の哲学ー2

生き方の哲学ー2 ulalan 浦蘭 嶋多朗 (「みおつくし」4月号より)

自分自身を見つめ直すテクニックのひとつとして瞑想、禅、気功、ヨガなどについて少し考えたいと思います。
自分を冷静にいつも意識し、常に見つめ直すには第三の目を養い、磨き、蘇らせておく必要があります。
二つの目で現実と社会を見て、第三の目で自分自身の心をしっかり見て、現状で良いのか、間違ったことは無いか、自分自身を客観視し、常に分析しなくてはなりません。
夜空の月も、水平線の彼方の日の出も歪んだ心で見れば美しく映りませんが、煩悩から解かれた三つの目で自然界を見ればすべてが美しく映ります。
昔から伝えられている本覚思想は、生き物すべて本来悟りの心を持って生きている、
しかし、煩悩というものが悟りの心を覆い隠してしまっていると言われています。
肉体と精神を分けて捉える西洋医学の二元論から、肉体と精神を一体のものと捉える一元論の東洋思想が注目されつつあり、欧米諸国などでも瞑想や禅という形で浸透し、東洋哲学も根強い人気があるようです。

社会全体が組織重視の見方から個人重視の流れに変化し、時代の方向も大きく変貌しようとしている現代社会で、個人個人、一人一人が自分の位置を確認し、これからの時代では、将来に向けて自分自身が舵取りをしなくてはなりません。
終末が近いと言われている現代社会、私のところへも鬱病の悩みをかかえて来る相談者が非常に増えています。
職場の人間関係や上司との関係断絶、家族関係の崩壊、夫婦関係や子供教育の悩み、
心に根強く潜在してしまった過去のトラウマ的ショックな出来事、様々なしがらみが生む原因不明の鬱的な症状を訴える方がたくさんいます。
私の身近で起きている現象です、事実です。このことだけで終末を裏付けることにはなりませんが、
親殺し、子殺しが普通のニュースとして蔓延るような社会全体で、何かが狂いはじめている事を実感している方は多いはずです。
地球温暖化、自然環境の破壊、そして少子高齢化から超高齢化社会へ移行し、ますます増加をたどる推計人口の問題など、
もっとも身近な問題としても年金、医療、福祉など社会保険制度、医療制度改革、医療保険の個人負担への影響などもあります。
都会で現代社会を生きて、生活していくには、社会と何らかの繋がりやかかわりを無視しては成り立たちません。
人間関係によるストレス、社会への不平不満、あらゆる邪気邪念に毎日とり巻かれて生きています。
心が乱れて精神的に病んでしまえば身体共に蝕まれ、いずれ遅かれ早かれ自分自身が崩壊していきます。
定期的にそれらのものから解放され、心を浄化する時間を持つことが大切です。
精神を自らコントロールし、ストレスから解放される何かを各人それぞれが、自分に適した方法で実践していかないと現代社会の中で生き残れないでしょう。
趣味や遊び、または集中できる事とか夢中になれる何かを持てる人はある程度ごまかせますが、そのような気分転換や気晴らしの時間が持てない場合はストレスが蓄積されます。
仕事や家事、子育て、教育などにエネルギーを集中することも大切かも知れませんが、それらの事はストレスが伴います。
自分が好んでやる趣味や遊びは、かなり長時間夢中になってもストレスは溜まらず、却って解消されることが多いようです。

では、ストレスとはなんでしょう。
それは欲望を抑えたり阻止されたりする時に心身に悪影響を及ぼす状態ですが、社会に流されて生活していると、自分さえ良ければいいと思う欲望が必ず生まれます。
自分自身が可愛いと思う気持ちが強いと、必ず迷いの心が生まれ、宿るでしょう。
自分だけの為に何かをしたいと思う欲望を無くせば、迷う心も無くせるはずです。
迷いの心とは仏教で言う煩悩ですが、現代社会に生きているとあらゆる煩悩に囲まれて生活しなくてはなりません。
美味しいものを食べたい、綺麗になりたい、お洒落をしたい、少しでも高い地位について人を支配したい、など、様々な欲望という煩悩が常につきまといます。自分自身への欲望があるから迷うのです。
物事に対する見方が偏っていると煩悩から解放されません。
また、物事の見方を利害関係で捉えると煩悩から解放されません。
そして色欲性欲が強すぎると煩悩から解放されません。

産まれたばかりの赤ん坊は煩悩も迷いもまったく無い状態ですが、成長する過程で煩悩と無縁に生きてはいけません。
コインの裏表で一体というように、人間の心も清浄無垢と煩悩が同居しています。
すべての物事は表裏一体ですから否定も無いし、肯定も無いわけです。
健康と病気も表裏一体なわけですから、インフルエンザが流行っても、かかる人とかからない人がいます。

都会で毎日、日々の生活を営むには身体と心、精神状態を常に管理し、調整し、バランスコントロールすることが重要で、心のバランスを正常な状態に保つことが大切です。
心のバランスうを崩す原因にストレスがあります。
ストレスは非常に恐ろしいもので、それが原因で体調を崩したり身体に原因不明の異変が起こったり、心の病に悩まされたりします。
身近なストレス解消としてみなさんはテレビを見ますが、無意識に毎日見ているテレビによって人格形成に何らかの形で影響を受けないでしょうか。
現にテレビが子供たちに予想外の人生観を持たせるような大きい影響力をあたえ、思考力と判断力が麻痺した想像を絶する人格や性格、人間性や考え方を持った人間をどんどん創っています。
金銭至上主義や数字と資金獲得に翻弄する社会が当たり前で常識的な考え方の様に錯覚させてしまうような、マスコミ、情報メディア、テレビ主導社会からの影響を受けた子供の数は、限りなく膨張し続けています。
教育その他によってこれらのことを軌道修正すると言っても、すでに手遅れということになるのでしょう。

ハワイでサーフィンをしながらヨガを楽しみ瞑想を楽しみ、仕事は二の次で自給自足の生活を優先している人たちがいます。
これらの人たちは1970年代にベトナム戦争の徴兵から逃れ、理想郷を求めてアメリカ本土から逃れて来たヒッピーたちといわれています。
彼等は自然を愛し、毎日を海の波とその日の風に自分を合わせてサーフィンを楽しみ、風の無い日はガーデニングを楽しんだり、
馬や犬、猫などの動物たちと戯れ、ヨガと瞑想に明け暮れ、今でいうスローライフを30年も前から実践しているのでしょう。
その生活にはテレビやマスコミなどはほとんど無縁で、社会に流されて生活をするなどとは程遠い生活をしています。
そして今も世界各国から物質欲や拝金主義、地位や名誉欲に振り回される生活に見切りをつけた人たちが移住し続けています。
心の充実を求めた人たちの、最終的な終着駅のような気がします。そして本当の意味で自分を見つめられるのでしょう。
座禅とヨガの語源はまったく違います。ヨガにもいろいろなヨガがあり、肉体を修練するのがヨガの基本です。
私が教えを受けた曹洞宗の禅寺では何も考えずイメージもせずに半眼で心を無の状態にするものです。
また少林寺の気功道場での座禅では、目を閉じて曼陀羅の御仏をイメージして行うことを教えられました。
ヨガの瞑想については、中国から指導者を招いている禅密気功道場で教えていただいた瞑想法と共通している部分があります。

禅密気功とは中国で生まれたもので、仏教密教の教えを通して伝えられた気功で、漢方医学、中医学を取り入れた中国20大気功のひとつです。
基本的には第三の目といわれるエネルギーの出入り口の眉間から膨大な宇宙エネルギー、自然エネルギーを取り入れ、
頚椎、胸椎、腰椎に気をめぐらせ背骨を中心に全身の気を活発にさせ、心身をリラックスさせるという気功法です。
ヨガの瞑想でいう7か所のチャクラと相通じるところがあるのかも知れません。
「気」が活発に作用しているときの脳波への変化と影響はすでに医学の分野でも証明されているようです。
また太極拳でも、深くゆっくり呼吸を繰り返し、心を空っぽにして穏やかな身体の動きに集中すると、
宇宙エネルギーを吸収して体内全体に気があふれ、心身ともに安定するといわれています。
それでは瞑想による効果とは何なんでしょう。
たとえば集中すると、集中していない状態より自分の能力を強く多く発揮できるようなエネルギー。
スポーツ選手が競争する前に能力を十分発揮するために気持ちを集中させます。職場では効率を高めるために仕事に集中します。
試験で実力をフルに発揮させようと試験のことだけに心を集中させ、高度な技術と能力を必要とする外科手術や精密検査なども気持ちを集中させないと失敗します。
気持ちや心を集中させるとは、そのこと以外は何も考えず、雑念を捨て、心配ごとや不安感を排除し、気掛かりな事をすべて取り除くことです。
そうすることで一点に意識を集中することができるわけです。
人間の潜在能力を完全に引き出したり、発揮したり、高めたり出来るとはそういうことなのでしょう。
心の中のわだかまり、邪気邪念、潜在意識に巣食った種々雑多な雑念を、瞑想の効果によって定期的に心を洗い流し、浄化し、リフレッシュさせることも必要なのかも知れません。

浦蘭 嶋多朗

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